<a href="http://ameblo.jp/endof/entry-11269483270.html">壊してしまえばええやんけ</a>
今回は、なんというか、「瓦礫の記憶」の記事の続きのようなものです。
昨夜、録画していたNHKスペシャルを見ていたのですが、スーパーコンピューター「京」が
取り上げられていました。
建物の中に格納されていて、その建物を写していたのですが。。。そういうシーンを見てしまうと
「壊してしまえばおしまいやなあ」
と瞬時に連想してしてしまうようになってしまいました。
たとえば、博物館などには重要な文化遺産がたくさんあったりするし、建物自体が文化資産のものも
たくさんあります。
しかし、それも、しょせんは建物ですから
「誰か突っ込んだり爆弾でふっとばしたらおしまいだよなー」
と思うわけです。
それに、要人たち。サミットなどでは世界の重要人物が集まるわけですが、当然、吹き飛ばされたり
しないように警戒にあたっています。
でも、吹き飛ばされたらおしまいですよね。
いま、すったもんだしている国会にしてもそう。国民そっちのけのバカどもごと吹き飛ばないかと
いつも期待しているわけですが、やはりこれも吹き飛べばおしまいです。
逆に、なんで、吹き飛ばないのだろうか、と少し不思議になってしまいます。
政情や治安が不安定な国では、まあ可能性としてはあるのでしょうが、以外に、全閣僚皆殺し!
議会にミサイル直撃!
ということはほとんどありません。不思議な事です。
そんなにガチガチの警備をしているとも思えないし、気狂いテロリストがどこからかクラスター爆弾でも
中性子爆弾でも核爆弾でも手に入れて使用すればいいだけのことですよね。
なんなら、ヘリやセスナにプラスチック爆弾満載でもいいわけです。
しかし、意外にない。
人類には「それはやっちゃいかんでしょ」という理性があるようです。それをひっくり返したのが
オウムのサリン事件や、911の同時多発テロでもあったともいえるかもしれません。
しかし、過去の事件があったということは、少しずつタガが外れ始めていることの証拠とも言えます。
この先、さらに前例を覆す破壊が起こることはありえるでしょう。
原発の施設なども「飛行機がつっこんでも大丈夫」とか行ってますが、核ミサイルやらはどうなんでしょう?
北朝鮮からの巡航ミサイルが標的にしていることもあり得ます。むしろ、なんで工作をしないのか不思議なくらいです。
そんなわけで、いろいろな建物の写真を見るたびに心のなかで「壊れたらどうすんじゃ」と思うようになってしまっています。
もっとも、先進国でそれが相次ぐようになるほど政情や治安が悪化するとしたら、それはもう戦争中かもしれないですね。