人類滅亡はまだっすか!?

滅亡大好きで、大爆発とジェノサイドに異常殺人も大好きな非モテが綴る絶望の誰得ブログ

<a href="http://ameblo.jp/endof/entry-10385787357.html">奈良・纒向遺跡  そこに卑弥呼はいた?</a>

昨日はニュースが賑やかでしたね。

市橋逮捕にかぶる森繁死去、その前は朝鮮で銃撃戦、タクシンがカンボジア入りとか・・・アメリカの乱射軍医がテロ集団と接触していた! なんていうものまで、いろいろ入り交じっていました。

そんな中で、卑弥呼ネタ・・w

やっぱり好きなんですよ。歴史はこのあたりまでが大好きで、それ以降はすっかり興味がなくなってしまうという学生時代でした。

建物も東西を向く独特のものだそうで、卑弥呼がここで祭祀を行ったのではないか、と盛り上がっているようです。

個人的には九州で発祥してその後、近畿に移動したのではないのか?とも思っているのですが。

そのへんは、↓の漫画の影響ですね・・w

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いま調べてみたら、高天原・・・・古事記で神々がすんでいた場所・・・を朝鮮に求める説もあるようですね。

高千穂に神々の伝説が多いので、個人的には九州を指しているような気はしています。卑弥呼以降に作られた書物、しかも新しい権力者に都合のいいように日本の歴史を編修したものですし。

だとしたら、邪馬台国はなぜ、近畿に移動したのか?

大陸からやってきた勢力との抗争に(逆もあり)破れて追いやられたのか?

天変地異や気候変動などで土地を捨てる羽目になったのか?

想像力を刺激しますね~。

文明の滅亡・・・特に邪馬台国のように謎の多い古代文明についても、今後は研究を進めたいですね。

現代文明にも通じるヒントがいっぱいあると思いますよ。

そんなわけで、11/9発売になった「人類滅亡大全」もよろしくお願いします!

おかげさまでじわじわあがってきました!

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奈良・纒向遺跡卑弥呼の祭祀空間か 3世紀最大級建物跡 http://mainichi.jp/photo/archive/news/2009/11/10/20091111k0000m040095000c.html

大型建物跡(左下)が見つかった纒向遺跡。右奥の緑地が卑弥呼の墓との説がある箸墓古墳奈良県桜井市で2009年11月5日午後2時15分、本社ヘリから山本晋撮影 巨大な宮殿にこもり、卑弥呼(ひみこ)は一人、神の声を聞いたのか--邪馬台国論争の舞台、纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)で見つかった3世紀最大級の大型建物。一帯が王権の中枢部で、大型建物は卑弥呼の宮殿だった可能性が出てきた。古代史最大の謎とされる邪馬台国卑弥呼の姿が、発掘の成果から浮かび上がってきた。

 魏志倭人伝(ぎしわじんでん)には、女王・卑弥呼が戦乱の倭国を治めるため、「鬼道(きどう)を行い、人々をひきつけた」とある。鬼道は、祖霊や神の言葉を聞く祭祀(さいし)と考えられている。卑弥呼は人々に姿を見せず、兵士や柵で厳重に守られた宮室(宮殿)などで祭祀を行い、政治を補佐する男弟(だんてい)に命令を伝えたとされる。

 辰巳和弘・同志社大学教授(古代学)は「大型建物は、政事あるいは祭事の『マツリゴト』が行われた場所」と指摘。西側には、祭祀に使う水をくんだとみられる「辻土坑(つじどこう)」という遺構があるほか、近くに纒向石塚古墳などの前方後円墳があることに注目。「『葬』『祭』『政』と当時重要な3要素がそろった。邪馬台国を認識させる大きな根拠だ」とみる。

 また、中国から北極星を信仰する考えが入った飛鳥時代奈良時代には、建物を南北を軸として配置するようになるが、纒向は東西を軸にした配置。千田稔・奈良県立図書情報館長(歴史地理学)は「当時の人々が太陽の動きを重視し、最も重要な施設の配置に表現した」と話す。さらに、「卑弥呼」は「日の御子(みこ)」という意味だったとみられることに注目。「太陽の動きを取り入れた纒向は、卑弥呼の宮殿と考えるにふさわしい。そこで中国から贈られた鏡を使って儀式をしていたのだろう」と考える。【高島博之】

 ◇九州説研究者 大和説に慎重

 纒向遺跡の今回の成果について、邪馬台国九州説を主張してきた研究者らは、一定の評価をしながらも影響はないとみており、所在地を巡る論争が終息することはなさそうだ。

 発表に先立つ今月1日、吉野ケ里遺跡で、特別記念フォーラム「なぜ邪馬台国は九州か」が開かれた。高島忠平・佐賀女子短期大学長や作家の中山千夏さんら6人のゲストは全員が九州説。「纒向は発掘途上で、ぼんやりと見えてきたかという程度」「魏志倭人伝の記述では九州しかありえない」などの意見が出され、集まった約300人から何度も大きな拍手が起きた。

 高島さんは、建物が同一直線上で南北対称となるよう配置されていることについて「大きな発見だ」と評価する。しかし、「全体的な発掘調査が行われていない。大型建物の性格は、(未発掘の)他の遺構と比較して考えるべきで、今の段階では判断できない。大和説は決定的になっていない」と慎重だ。

 また、吉野ケ里遺跡を有力候補地と考える七田忠昭佐賀県教委参事は「邪馬台国卑弥呼の議論は、すべて魏志倭人伝の記述から始まっており、それらを発掘成果と照らし合わせることが大切」と強調。魏志倭人伝では、卑弥呼の宮殿を「宮室・楼閣・城柵」としているが、七田さんは「この『3点セット』は、吉野ケ里の北内郭にそろっている。今回の発掘成果をもってしても、纒向にこれらがそろったわけではない」としている。【高島博之】