人類滅亡はまだっすか!?

滅亡大好きで、大爆発とジェノサイドに異常殺人も大好きな非モテが綴る絶望の誰得ブログ

<a href="http://ameblo.jp/endof/entry-10439282303.html">人類の魂が乗っとられたら?</a>

昨日のTVで見た、本当にあったエクソシスト

映画「エミリー・ローズ」の元になった話でした。もともとてんかん持ちの少女なので、精神的というか、脳神経系の障害などが元なのではないか、という気もしました。

精神・脳医療が進化する前、1976年に死去した人の話なので、いまなら、脳に何らかの異常が認められるかもしれません。

さて、それはともかく、見ながら考えていたのは、悪魔的な存在が本当にいたとして、それが人類にいっせいに取りつきだしたら、どうなるのか。

そうです、漫画版の「デビルマン」がまさにそうですね。

合体に失敗してわけのわからないものに変形しちゃう人間も続出したりして、その後、デビルマン軍団対デーモン一族とのハルマゲドンに進むストーリーはいまも色あせません。

アセンション、高次元(余剰次元)という考え方が普及してきた現在、この話は、高次元の存在が人類に取り付くという予言にも思えてきたのです。

人間の精神とは脳の働きで、脳の働きとは化学的なスパークや結合です。高次元の存在からすれば、そんな人間の精神などどこからでもアクセスし放題に見えるかもしれません。

さて、ここで問題なのは、高次元の存在が人間にとりついて得られるメリットです。

・・・・あまりない気がします・・・w

全人類に高次元の存在をアピールするためにキャンペーンとしてやる、程度でしょうか。

別に、知られなくてもいいわけでしょうが。。。

邪魔であれば、高次からエネルギーを送り込んだり殺したりは簡単なのではないかと。

人類を高いステージに、とよく言われるスピリチュアル的なイメージも意味がわかりません。

なんでしょう、ステージって? ゲームのやりすぎではないですかね。

人類はレイヤーを進むような存在ではないでしょうし、そのレイヤーは誰が用意しているのでしょう?

決まった道にしか進めないのであれば、人類の存在意義は単なるプレイヤーとでもいうのでしょうか?

それも面白く無いですね。

高いステージに導くために、というのは、おせっかい以外の何者でもないし、ゲームとしては

つまらないシナリオです。

スピリチュアリストの想像力というのは、要するに、そういう誰かによって救われることを想定した

受身のものでしかないということなんでしょうか。

そりゃあ、楽でしょうね。

とっとと悪魔に魂を売って乗っとられればいいのに・・・・

となると、高次元の存在ではなく、精神というか脳と神経系をハックできる異星人の人類取り付き計画というのはアリに思えてきます。

異星人が地球で住むためには環境が違いすぎて不便な場合。。。建物などもすべて破壊して作り直すのも手間がかかります。そこで人類をハックしてしまうわけです。

アバター」そして「サロゲート」と、本体と別の人工の身体を操る映画が続くのはなぜなのか?

それは、来るべき日のための啓蒙なのかもしれません。

アバター」は3Dで見てきましたが、その現実感といったらすごいものでした。3時間もあるので、しまいにはそれが現実の記録のように思えてくるほどです。帰ってからも、まざまざとシーンが思い出されました。

あれは、洗脳・教育映画ですね・・w

異星人と合衆国、先進国連合との密約情報も飛び交っていますが、異星人降臨は、そんな衝撃的な形で訪れるのかもしれません。

そして人類は肉体を明け渡して、魂・・・記憶そのものはデータとして永遠の夢世界にプールされるのです。

それは映画「マトリックス」の世界ですね。

異星人がまさに機械の身体であれば。。。。そのままです。

新たな社会主義に向かいつつある世界、そして資本主義の行き詰まり、働けない世界。

もう、極端な話、働いて金を得てそれで何かを買うというモデル自体をやめにしないといけないのかもしれません。反面、死ぬまでにすべて消費しきれない娯楽やコンテンツ、商品が溢れている・・・・すべてを消費するには金も余裕も必要ですが、それはない。となれば、消費されない。

生きていくためのシステムの中でひたすら消費するだけの世界・・・それが、肉体を明け渡したデータだけの人類には可能です。

究極のニート世界が誕生するかもしれません!