人類滅亡はまだっすか!?

滅亡大好きで、大爆発とジェノサイドに異常殺人も大好きな非モテが綴る絶望の誰得ブログ

<a href="http://ameblo.jp/endof/entry-10272020281.html">卑弥呼の墓? 箸墓古墳の作られた年代が没年前後の測定結果</a>

人類の滅亡とはなんも関係ありませんが、卑弥呼とか、そーゆー古代の謎も好きなので

ちょうどニュースが出たのでメモメモ・・です。

卑弥呼の墓ではないか? と言われていた箸墓古墳。しかし、ここは現在、宮内庁によって第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)として管理されているため、一般の立ち入りができませんでした。

この姫様、神懸かりになったり、巫女的な一面があったようで、卑弥呼とも共通性があります。が、伝説の場所は近畿エリア。九州=邪馬台国説をとるならば、別人ということになります。

卑弥呼の墓が明確にされていない、ということは、当時の天皇側政権にとって、卑弥呼は敵だったからなんでしょうか? そのため、卑弥呼と言わずに匂わせる程度の人物として箸墓にまつったのか?

そのへんは、研究家の方にお任せしたいですが、この古墳の研究が最近になって一部解禁されたようで、今回は古墳やその周辺で出土した土器に付着した土を放射性炭素年代を測定、築造年代を西暦250年前後、と発表。

卑弥呼の没年は247年とされるため、学会では「やはり卑弥呼の墓ではないか?」と盛り上がっているわけです。

年度がたまたま一致しただけかもしれず、この数値だけが一人歩きしないように注意を呼びかけるコメントも発表されています。

この発表を機に、また論議が活発化しそうですね。

卑弥呼の率いる邪馬台国は滅びてしまったわけですが、それも王による政権転覆が原因。

その後、大和朝廷に呑み込まれてしまいましたが、古来は女性天皇も珍しくありませんでした。

民衆が女系に率いられていた時代は確かにあったのですが、その伝統が続いていたら、この国はまた違う発展を遂げたでしょうか?

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箸墓古墳卑弥呼の生前に築造開始か 歴博が研究発表

2009年5月31日20時36分 http://www.asahi.com/culture/update/0531/OSK200905310039.html

 奈良県桜井市の箸墓(はしはか)古墳の築造年代が西暦240~260年ごろとする国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の研究成果が31日、東京・早稲田大で開かれた日本考古学協会の研究発表会で報告された。春成秀爾(はるなり・ひでじ)・同館名誉教授は「箸墓古墳卑弥呼が生前に築造した墓の可能性が強まった」との見解を示した。

 同館は箸墓古墳やその周辺で出土した土器の付着物の放射性炭素年代を測定し、築造時期を絞り込んだ。春成名誉教授は中国の史書「魏志倭人伝」の記述から、卑弥呼が247年に死去したと推定。「全長280メートルの古墳を築造するには10年前後かかったとみられ、今回分かった年代から、卑弥呼が生前に自分の墓の築造を始め、死亡時に大部分は完成していたとも考えられる。卑弥呼自身が箸墓古墳を築造していた可能性が高い」と報告した。

 会場となった教室は400人の聴衆で満員に。「付着物の年代が土器より古い可能性もあるのでは」という質問も出たが、春成名誉教授は「同時に出土した植物の種も測定したが、ほぼ同様の年代が出ている」と応じていた。