<a href="http://ameblo.jp/endof/entry-10543489059.html">なぜ人類はメシを1日3食もくわないといけないのか</a>
このところ、メシを食うのが大変面倒。それと、食欲がない。
以前からかんがえていたことでもあるのですが、人間は1日3回もメシをくわなければいけないのは
どうなのか?
もちろん、それは食糧事情に恵まれた先進国に限っての話かもしれません。
いまだに、メシを食うに食えない人も多いのは事実です。
で、あるなら。
文明もここまで進化したのですから、人体も1日1回のメシとか、もう1週間に1度でいい、くらいに進化してもよいのではないか?
そうすれば、現在、人類、中でも先進国を脅かす肥満にまつわる病気~糖尿病、血管系疾患、肝臓や腎臓への負荷、心臓などへの負担~をだいぶ解決することが出来るはず。
動物は1日じゅう、すきあればメシを食います。野生では特に、食料を得るのが困難だからこれは仕方ないかもしれません。
飼育された動物は、日に何度かの食料になります。
人間は1日に3回たべるというか、そんな間隔で腹が減ります。
もうちょっとエネルギーの効率をよくすれば、どうにかなるのではないか?
そもそも、牛肉を食ったりする必要があるのか?
最近は食欲がなくて、おかずを食うのがしんどいのでコメとパンが主食です。
というのも、よく飢餓時代の話しでは、穀物だけでも満腹に食えればいい、みたいな話しを聞くではないですか。
ということは、米だけくってれば、実はいいのではないか?
そんな気もしたからです。
もちろん、人体に必要なミネラルやビタミン、栄養素があることは理解してます。
でも、それがないと、本当にいけないのか?
ほぼ主食の穀物しか食えない、それすらもろくに食えない人々はいくらでもいるわけですよね?
そして、高齢化社会問題。
必要以上に長生きしすぎることで狂う社会のバランス。生物種の層の狂い。
人類にも、そのバランスをとるための何かが備わっているはず。
現時点で、国費を治療費が社会システムを圧迫しています。
では、たとえば年金をもらえる年代になったら、延命措置、治療は一切しない。
もしくは自費のみにする、といった対応策も必要になるかもしれません。
金がないから治療が受けられない・・・それは残酷かもしれませんが、生きていても社会に貢献しない世代に税金を回すより、若い働き手世代、税金を収める世代に厚くするべきではないのか?
無論、年寄り世代が年金を社会に還元しているという意見もあるでしょう。
では、年金の権利を若い世代に譲渡できるようにしてはどうか?
死後何年か、平均死亡年齢までの制限付きで。
実行すれば、前代未聞の残酷社会になると思いますし、そもそも選挙で大きな力となる老人世代の大反対をくらうでしょう。
でも若い世代はもっと政治に関心を持って、ひっくり返すべきですよ。
いや、まあ、それはとにかくとして、人体のメシに対する進化はないのでしょうかね。
そうすれば食にまつわるCO2発生を大幅に減らせるはずなのに。
いまの文明国の人類はいろいろと忙しいのだし、後進国にしても飯の回数が少なくて住むのであれば大バンザイでしょう。人類の暮らせる場所も広がります。
先日、人間がデザインしたDNAを埋め込んでまったく新しい生命を生み出す技術が発表されましたが、その応用でたとえば、人体のエネルギー消費をつかさどるミトコンドリアを改造すれば、そんな人類のデザインをすることが可能になるかもしれません。
高等な生物を生み出すのにはまだ数十年かかるということでしたが、ミトコンドリアの改造で済むのならさらに短期間で済むかもしれません。
高等高効率の人体・・・飯食うヒマも惜しい富裕層には最適の人体。
それを実現したら、格差はさらに決定的になりそうです。